地球温暖化は本当か

地球温暖化の危険性が指摘されてからすでに50年以上の年月が流れています。この問題がある程度世界的影響を与えるようになったのはアル・ゴア著「不都合な真実」が出版されてからではないでしょうか。2006年に英語版が出版されて以来、各国語に訳され、世界的に大きな影響を与えています。その一方で、温暖化論への批判も寄せられるようになり、現在「活発に」を通り越して、「険悪な」雰囲気で議論が続けられています。ゴアは温暖化論の根拠と解決方法を提案しています。それに対して、根拠のいくつかは科学的ではないという指摘がなされています。批判論者は一様ではなく、様々な立場から、別々の論理を使って反論しています。そして、批判論への批判もまた多様な形で展開されていて、両者がかみ合うことなく、無意味な非難中傷合戦になることもたびたびです。あまりに雑音が大きいので、せっかくのゴアの主張も、それに対する正しい批判もかき消されてしまう危険性も生じています。私としてはゴアの気持ちの正しさを認めるともに、その根拠となっているいくつかの事象は科学的には不適切であると考えるので、その両者の調和点を探ってみたいと考えています。

 

まず指摘しておきたいことは、ゴアが科学者ではないことです。「不都合な真実」という書物も科学論文ではなく、啓蒙書です。また、この本に基づいて作られた映画も啓蒙のためという側面が強く、これらに過度の科学的正確さを要求するのはないものねだりということです。過度の正確さを要求すると、今後、啓蒙書や映画などは作れなくなってしまうでしょう。日本では1970年代に「日本沈没」という書物が発売され、映画も作られました。しかし、日本が太平洋に沈んだわけではありません。啓蒙書は啓蒙書として読むべきであって、読者がそれをきっかけにそのテーマに関心を持てばよいのです。問題は、読者が過剰反応して、過激な行動をとることです。普通はそういうことはないのですが、地球温暖化については過剰反応している人々が現れています。それはとても危険なことです。たとえば、身体の免疫機構は良いものです。しかし、これが暴走するとサイトカインストームとなり死に至ります。何事も過剰反応はよくありません。

 

さて、「不都合な真実」とう題名ですが、なぜ「事実」ではないのでしょうか。科学的議論においては「真実」ではなく「事実」こそが大切です。ところが、あえて「不都合な真実」と表現したのは、この書物が心情的アプローチであることを著者自身が感じていたのかもしれません。

 

たしかに日常生活の中で地球温暖化の実例をあちこちで発見できます。ゴアも例として挙げているように、ヨーロッパ人にとって氷河の後退は目の前にあって日々確認できる事実です。加えて、毎年の体感温度も上昇しています。日本人にとっては夏の最高気温の上昇は気象庁から発表されるので、身近なものに感じられます。冬の寒さも和らいでいます。まさに地球温暖化は感覚的には事実、つまり真実なのです。

 

ところが、これを科学的に議論しようとすると途端に壁にぶつかります。たしかに地球の気温は少し上がっています。二酸化炭素の量もわずかばかり増えています。「このままゆくと異常気象現象が頻発し、海面が上昇して地球は大変なことになる」という警告の趣旨はよくわかります。しかし、これから地球に氷河期がやってくることも事実であって、少し温暖化したほうが人類にとって良いという面があるのです。また、温暖化論の根拠としているいくつかの「真実」は事実でないことも含まれています。ところが「不都合な真実」の内容があまりにもヨーロッパ人の感覚にあったので、地球温暖化論が暴走しはじめています。それが脱炭素論です。脱炭素とは、脱二酸化炭素のことなのですが、わざと表現を変えることにより何が問題なのかを曖昧にしています。その延長にSDGsという、これまた内容のわかりにくい標語が飛び交っています。まさに今、国連がこれに巻き込まれ、世界各国が崖から飛び降りる豚のように暴走しはじめています。そして、これを止める人はいません。このままゆくと、まさか人類が死滅することはないでしょうが、かなり大きな犠牲を払うことになるでしょう。少しでも犠牲を減らすためにも、冷静になって、事実を確認し、脱炭素ではなく、別の方向に舵を切らなければなりません。

 

啓蒙書が悪いのではありません。それを鵜吞みにして過剰な対策を立てるほうが悪いのです。私は、地球環境への人間の責任を強調するゴアの論調には賛成です。人間はこの地球を適切に管理する責任があります。温暖化も、寒冷化も、二酸化炭素量も、酸素量も、その他すべての地球環境の問題は人類の問題なのです。ただし、その問題の解決の方法は適切なものでなければなりません。科学的裏付けも必要です。現在の科学はまだまだ未熟です。地球についてわからないことだらけです。ですから、もっと多くの議論、問題解決への提言とともに科学的研究が必要となっています。

 

そのためにも、啓蒙書に書かれている間違った論拠は訂正しておかなければなりません。地球の温度が過去100年で約1.2度上昇したということについては、はたしてこの数字は正確なのかを検証する必要はありますが、上昇したことは確かでしょう。問題は、この上昇が二酸化炭素増加の結果なのかどうかです。太陽の周期活動によるものである可能性も残っています。二酸化炭素をうまく減らすことができても地球温暖化のペースが変わらないかもしれません。これはまだ科学的に確証されていないのですから、これについては断定せずに、予断を排除して研究を続ける必要があります。

 

次に、異常気象についてですが、これについては多くの説得力ある反論が寄せられています。日本を例にとっても、日本に到来した巨大台風は20世紀のものばかりであって、最近は巨大台風といえるものは上陸していません。わずか1度の温暖化と異常気象が連動してないことは明らかです。

 

また、海面上昇については、あまり議論されていませんが、かなり問題のある論点と思われます。縄文時代が今より気候温暖であったことはわかっています。海もかなり内陸部に入り込んでいたようです。しかし、海面がどのくらい上がっていたのかよく知らないので、ここで科学的議論を提供できるわけではありません。ただ、論理の筋道を示すことはできます。縄文遺跡の代表として三内丸山遺跡を取り上げてみます。この場所は標高20メートルほどのところにありますが、その時代の海面が今から10メートルほど高かったとしましょう。気温は今より5度くらい高いとします。すると、気温1度に対して海面は2メートル上がることになります。ということは、この100年間に地球の気温が1度上がったということは、2メートルの海面上昇が見られなければなりません。100年前というと、明治時代ですが、その時の海岸線が今より2メートル下にあったかというと、そういう事実は確認されません。それどころか、10センチの上昇でさえ確認されていません。温暖化と海面上昇は連動していないことはほぼ確実です。以上は単なるシミュレーションですが、これを科学的に検証するためには、今後、海面上昇を毎年観測することは是非とも必要となっています。なお、ツバルやヴェニスの沈下は、海面上昇ではなく、地盤沈下の可能性もあるので、詳細な調査・研究が必要となっています。

 

さて、ゴア著「不都合な真実」では、病気蔓延や人口爆発も取り上げられているので、地球温暖化だけが問題であるとしているわけではないことがわかります。全体的に見てゴアの問題提起はやや大げさであるとしても、人間の責任を喚起するという点で有益・有効であることは認められます。人間は地球環境に対して責任を持たなければなりません。この当然のメッセージはすべての人に向けられていると思います。