安倍元総理の死因?

安倍元総理の死因について、今更、素人の私が云々してもしょうがないのですが、YouTubeの映像を見ていて、疑問になったことがあるので、書き留めておきます。

安倍元総理の蘇生を担当した医師は「心臓の深さに達する傷だった」と述べています。それに対して、警察関係者の発表では「左腕から首に達する傷」と述べています。「貫通していないが、銃弾は見つからない」という不思議なコメントが付いています。これは途中経過なので、これから見つかるでしょうが、それにしても、おかしなことがたくさんあります。散弾銃は一度に6発発射できるとのことで、2回発射しているので、合計12発も飛んでいることになります。そのうちの一発だけが安倍元総理に当たったということでしょうか。90メートルも離れた駐車場の壁からも銃弾が見つかったとのことですが、まわりの人に当たらなかったのは不幸中の幸いなのでしょうか。たぶんそんなには飛んでいないように思います。

それはそれとして、疑問なのは安倍氏が倒れた時の映像です。元総理は静かに上を向いて横たわっていました。医師の話では心臓の深さに達しているとのことなので、あたり一面血の海になっているはずですが、その映像には血がわずかに映っている程度で、血の海にはなっていません。やはり、警察の発表が正しく、首筋に銃弾が当たって、心臓直撃はまぬかれたので、血の海にならなかったのでしょう。しかし、ドクターヘリで搬送されたとき、すでに心肺停止状態になっていたということで、少し早すぎないかという疑問が生じます。

ここで、気になるのは安倍氏が倒れた直後、「医療関係者はいないか?」と誰かが叫んでいたことです。警察では手に負えないので、医師を探すのは当然のことですが、そのとき「早く心臓マッサージを」と叫んでいた声があったような気がします。「出血している人に心臓マッサージをしたら、逆効果になるのでは・・・」とそのとき思いました。記憶を頼りにしているので、断言はできませんが、心臓発作の人と、殺人事件で倒れた人では対処の方法が違うことは常識です。まさか、初歩的間違いをしたわけではないでしょうし、誰かを責めるつもりもありませんが、このような出血状況での緊急医療行為をどうするかについての国民教育が必要であるように思いました。

     

山本一郎「ズレずに生き抜く」を読みました。

山本一郎「ズレずに生き抜く」を読みました。山本さんはYou Tubeで見つけた人ですが、語り口が軽妙で、私と違う視点を持っているので、参考にさせていただいています。たまたま著書もあるとのことなので、図書館で調べたところ、上記の本がヒットしました。内容はYou Tubeと同じで、普通の本には書いてない、ごく普通の考えが書かれていました。講演会で立派な話を聞いたあと、飲み屋でその人の本音を聞くような感じです。ざっくばらんな飾らない本音がいいですね。普通の「おっさん」のひとりと思っていたのですが、先日、ホリエモンが「山本一郎は消えてほしい。」と話していたので、山本一郎はそんな大物なのかと驚いた次第です。山本さんほどの温厚な人をどうして嫌いになるのか分かりませんが、過去に何かトラブルがあったのでしょうね。確かにはっきりした物言いをするところもありますが、常識的、もしくは現実的過ぎる面があり、夢がないというか、最先端なものをクールに見ているので、ホリエモンとは馬が合わないのでしょう。私はホリエモンに共感する立場なのですが、自分とセンスの違う山本さんの見解については面白いと思うわけです。

ワクチンの有効性は無い(?)

以前、お話したことですが、私が「ワクチンは効かない」と確信を持ったのは、2021年12月6日号の日経ビジネス「ワクチンだけでは説明できず」の記事を読んでからです。この記事には世界各国の感染者数の推移と、ワクチン接種の推移が重ねて表示されています。そのグラフでは、どの国でもワクチンを打つ前の感染者の線と打った後の線に変化がありません。ワクチンは感染者の増減に影響を与えていないのです。ということは、「ワクチンは効かない」と言う結論になります。


ところが、あるHPには「ワクチンの有効性は95%」と書かれていて、計算式まで載っていました。数字は分からなかったのですが、別のHPに数字が載っていました。検査人数は43500人で、ワクチンを打つ人と、打たない人(プラセボ)半々に分けて、実行したところ、ワクチンを打った人の中から8人の患者、打たない人から162人の患者が発生したとのことです。計算式は 打った人の感染率を打たなかった人の感染率で割って、1から引いて100を掛けるというものです。この式がおかしいと先に書いてしまいましたが、別のアイデアで計算しても同じ結果になったので、式そのものは間違っていないようです。


さて、最近の数字を入れて計算してみましょう。先日見つけた野中先生のHPに厚労省の発表した統計が載っています。各年齢層ごとの数字がありますが、全部載せるのは大変なのでその一部の計算結果を報告します。今年(1/17-1/23)、65歳から69歳までの日本人のうち、ワクチン未接種者でコロナになった人は 1530人、未接種者全体は 901632人。ワクチン接種者でコロナになったのは 3412人、接種者全体は 7177475人 となっています。これを先の有効率式に当てはめて計算すると 71.98% となります。95%からかなり下がっているとはいえ、まあまあの数字です。おそらく、こういう数字なので専門家は「ワクチンは効かない」とは言わないのでしょう。


ではなぜ第5波が来ることをワクチンは止められなかったのでしょうか。第5波の到来した昨年8月ごろ、各国ともワクチン接種は進んでいました。集団免疫達成と言える60%近くになっていました。しかし、ワクチン接種率とは関係なく、突然、感染者数が増え始めたのです。その頃のワクチン有効率は80%か、70%かわかりませんが、当然70%以下ではなかったはずです。それにも関わらず、感染者数が増加した。同じことが今年の第6波についても起きています。
これは感染症学者にとって困った現実ではないでしょうか。ワクチンが効かなかったから感染が拡大したのではありません。ワクチンは70%の有効率があるのです。それにも関わらず感染拡大を防げなかった。それはなぜなのか?これはとても難しい問題です。


ロックアウトも、自粛も、三密を避けることも、マスクも、感染拡大を防ぐことに失敗しています。そして、この失敗した対策を遂行するために政府は100兆円以上の予算を投入しています。今後も、新型コロナのような感染症は必ずやってきます。もしかすると毎年やってくるかもしれません。そして、同じ失敗を繰り返すのでしょうか。それだけは避けなければなりません。


老人の生命を守ることは大切です。しかし、そのために経済を止め、若者にワクチンを打たせ、100兆円の資金を投入するというのはいくらなんでもやりすぎではないでしょうか。専門家の責任はあります。政府の責任、その他、多くの責任者がいるでしょう。しかし、まずは国民が冷静になって、悟らなければなりません。人類は過去何百万年もの間、感染症と共存してきました。これからも共存してゆかなければならないのです。感染症の種類によって対策が異なるのは当然ですが、過剰な対策は良くないことを大原則とし、また、教訓として残しておかなければなりません。

 

ワクチンは効かない

「ワクチンは効かない」という確信を持ったのは昨年(2021年)12月6日号の日経ビジネス「ワクチンだけでは説明できず」の記事を読んでからです。この記事に載っているグラフを見ると、ワクチンを打つ前の感染者の線と後の線が何の変化も示していません。これは日本だけではなく、どの国でも同じなのです。これはおかしい。ワクチンを打ったら感染者の線が下向きに変化しなければなりません。何の変化もないということはワクチンは最初から効き目がなかったことになります。

ところが、専門家たちはみなワクチンの効果を認めているし、ファイザー社も、モデルナ社も効果を確認済みであると主張しています。どういうやり方で有効性を確認したのでしょうか。あまりにもおかしいと思い、再度検討することにしました。

ネットを調べると、「ワクチンの有効性は95%」と出ていました。日本の人口を1億人として、ワクチン接種済みの人はおおむね70%と言われています。すると、7000万人が接種済みで、3000万人がまだ接種してないことになります。そして、1万人の患者の中で、ワクチン有効率が0%とすると、同じ率で病気になるので、患者の中も7000人のワクチン接種者と3000人の未接種者になります。100%なら患者全員(一万人)が未接種者となります。95%だと、ワクチン接種者が350人で、未接種者が9650人となります。なるほど、ワクチンは有効ですね。

では、実際はどうなのか? 現在、コロナになる人は一日あたり1万人以上いるわけですから、そのうち何人が未接種者なのかを公表してもらいたいものです。もし、ワクチン未接種者の数が3000人なら、ワクチンの効果は0%ということになりますよ。

 

「身近にあるフェイクニュース」東京くらしねっと、1・2月号

「東京くらしねっと」令和4年、1・2月号 を図書館で手に取りました。「身近にあるフェイクニュース」という記事に目が留まったので読んでみました。わかりやすいし、短いので啓蒙としては良い文章だと思いました。ただし、議論がこれで終わるわけではありません。問題は「フェイクニュースだ」と言ってくるフェイクニュースがあるということです。気に入らない記事があると自分の主観を基準にして「フェイクニュース」と相手を罵倒する人がいます。「非国民」、「変態」、「テロリスト」などの罵倒語のひとつになりつつある現状を認識する必要もあるのではないでしょうか。

ある情報が事実であるかどうかは微妙な問題であることは多々あります。国や権威ある機関が間違っていることも多々あります。フェイクニュースを判定する人自身がはたして確実な情報を持っているかどうかは、実際上、はなはだ疑問であることがあるのです。こういう中で、フェイクニュースに気を付けると同時に、フェイクニュースとの批判もまた間違っていることがあることも念頭において、冷静に対処すべきだということです。最後には自分の主観に頼らざるを得ませんが、自分の判断もまた主観に基づいていることを自覚して、いろいろな人の意見に耳を傾けながら、場合によっては自説を撤回することもあるでしょうし、最後のひとりになっても自説に固執することもあって良いわけです。相手もまた、そういう精神の遍歴をすることを許しつつ、議論・論争のダイナミズムを認識して、自分もその一員として加わっていることを自覚したいと思います。

なお、この「東京くらしねっと」の記事でさえもフェイクニュースとは言えないまでも、不正確な内容があるのであって、文章を書くとか、自己主張するというのはなかなか難しいということがわかります。「深く息を吸って10秒我慢できれば、新型コロナウィルスに感染していない」と言うことをフェイクニュースの筆頭に挙げていますが、これは実害のない情報であってフェイクニュースと言うべきものではありません。「体温が37度以下ならコロナではない」というのと同じで、素人判断としては良いやり方であって、10秒我慢できないとか、37度以上あるなどの体調なら、それこそ保健所に行くことも考えてよいことになるわけです。山口教授の説明をフェイクニュースと言うつもりはありませんが、事例が適切でないと言うことはできます。

また、「メタノール云々・・・」の文章は、「亡くなる方が800件以上」と書いていますが、日本国内か、世界全体でかの説明がなく、また、何年の統計なのかも書かれていないわけで、こういういい加減な情報を大げさに載せるのがフェイクニュースの常とう手段なので、それをフェイクニュースに注意喚起する人が同じ手段を使うというのはどういうものなのかなと思うわけです。

啓蒙的意義があることは認めますが、そういう文章の中にもフェイクニュース的要素が含まれるという事実の中に、フェイクニュース判断・評価の難しさがあるということを思い知らされています。

日本の新型コロナ、新型インフルの死亡率は世界最低

新型コロナがまだ終息していないので、最終結論は避けなければなりませんが、2011年の厚生省発表の統計によると、新型インフルエンザの死亡率は 0.16 %で、他の国と比較して最低ともいえる低い値になっています。

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コロナの死亡率は 1.4%なので、新型インフルよりはかなり高いですが、他の国と比較すると低い数字になります。これはインフル、コロナという感染症の種類によるのでなく、日本の医療体制がしっかりしていることを示していると言えます。

地球温暖化は本当か

地球温暖化の危険性が指摘されてからすでに50年以上の年月が流れています。この問題がある程度世界的影響を与えるようになったのはアル・ゴア著「不都合な真実」が出版されてからではないでしょうか。2006年に英語版が出版されて以来、各国語に訳され、世界的に大きな影響を与えています。その一方で、温暖化論への批判も寄せられるようになり、現在「活発に」を通り越して、「険悪な」雰囲気で議論が続けられています。ゴアは温暖化論の根拠と解決方法を提案しています。それに対して、根拠のいくつかは科学的ではないという指摘がなされています。批判論者は一様ではなく、様々な立場から、別々の論理を使って反論しています。そして、批判論への批判もまた多様な形で展開されていて、両者がかみ合うことなく、無意味な非難中傷合戦になることもたびたびです。あまりに雑音が大きいので、せっかくのゴアの主張も、それに対する正しい批判もかき消されてしまう危険性も生じています。私としてはゴアの気持ちの正しさを認めるともに、その根拠となっているいくつかの事象は科学的には不適切であると考えるので、その両者の調和点を探ってみたいと考えています。

 

まず指摘しておきたいことは、ゴアが科学者ではないことです。「不都合な真実」という書物も科学論文ではなく、啓蒙書です。また、この本に基づいて作られた映画も啓蒙のためという側面が強く、これらに過度の科学的正確さを要求するのはないものねだりということです。過度の正確さを要求すると、今後、啓蒙書や映画などは作れなくなってしまうでしょう。日本では1970年代に「日本沈没」という書物が発売され、映画も作られました。しかし、日本が太平洋に沈んだわけではありません。啓蒙書は啓蒙書として読むべきであって、読者がそれをきっかけにそのテーマに関心を持てばよいのです。問題は、読者が過剰反応して、過激な行動をとることです。普通はそういうことはないのですが、地球温暖化については過剰反応している人々が現れています。それはとても危険なことです。たとえば、身体の免疫機構は良いものです。しかし、これが暴走するとサイトカインストームとなり死に至ります。何事も過剰反応はよくありません。

 

さて、「不都合な真実」とう題名ですが、なぜ「事実」ではないのでしょうか。科学的議論においては「真実」ではなく「事実」こそが大切です。ところが、あえて「不都合な真実」と表現したのは、この書物が心情的アプローチであることを著者自身が感じていたのかもしれません。

 

たしかに日常生活の中で地球温暖化の実例をあちこちで発見できます。ゴアも例として挙げているように、ヨーロッパ人にとって氷河の後退は目の前にあって日々確認できる事実です。加えて、毎年の体感温度も上昇しています。日本人にとっては夏の最高気温の上昇は気象庁から発表されるので、身近なものに感じられます。冬の寒さも和らいでいます。まさに地球温暖化は感覚的には事実、つまり真実なのです。

 

ところが、これを科学的に議論しようとすると途端に壁にぶつかります。たしかに地球の気温は少し上がっています。二酸化炭素の量もわずかばかり増えています。「このままゆくと異常気象現象が頻発し、海面が上昇して地球は大変なことになる」という警告の趣旨はよくわかります。しかし、これから地球に氷河期がやってくることも事実であって、少し温暖化したほうが人類にとって良いという面があるのです。また、温暖化論の根拠としているいくつかの「真実」は事実でないことも含まれています。ところが「不都合な真実」の内容があまりにもヨーロッパ人の感覚にあったので、地球温暖化論が暴走しはじめています。それが脱炭素論です。脱炭素とは、脱二酸化炭素のことなのですが、わざと表現を変えることにより何が問題なのかを曖昧にしています。その延長にSDGsという、これまた内容のわかりにくい標語が飛び交っています。まさに今、国連がこれに巻き込まれ、世界各国が崖から飛び降りる豚のように暴走しはじめています。そして、これを止める人はいません。このままゆくと、まさか人類が死滅することはないでしょうが、かなり大きな犠牲を払うことになるでしょう。少しでも犠牲を減らすためにも、冷静になって、事実を確認し、脱炭素ではなく、別の方向に舵を切らなければなりません。

 

啓蒙書が悪いのではありません。それを鵜吞みにして過剰な対策を立てるほうが悪いのです。私は、地球環境への人間の責任を強調するゴアの論調には賛成です。人間はこの地球を適切に管理する責任があります。温暖化も、寒冷化も、二酸化炭素量も、酸素量も、その他すべての地球環境の問題は人類の問題なのです。ただし、その問題の解決の方法は適切なものでなければなりません。科学的裏付けも必要です。現在の科学はまだまだ未熟です。地球についてわからないことだらけです。ですから、もっと多くの議論、問題解決への提言とともに科学的研究が必要となっています。

 

そのためにも、啓蒙書に書かれている間違った論拠は訂正しておかなければなりません。地球の温度が過去100年で約1.2度上昇したということについては、はたしてこの数字は正確なのかを検証する必要はありますが、上昇したことは確かでしょう。問題は、この上昇が二酸化炭素増加の結果なのかどうかです。太陽の周期活動によるものである可能性も残っています。二酸化炭素をうまく減らすことができても地球温暖化のペースが変わらないかもしれません。これはまだ科学的に確証されていないのですから、これについては断定せずに、予断を排除して研究を続ける必要があります。

 

次に、異常気象についてですが、これについては多くの説得力ある反論が寄せられています。日本を例にとっても、日本に到来した巨大台風は20世紀のものばかりであって、最近は巨大台風といえるものは上陸していません。わずか1度の温暖化と異常気象が連動してないことは明らかです。

 

また、海面上昇については、あまり議論されていませんが、かなり問題のある論点と思われます。縄文時代が今より気候温暖であったことはわかっています。海もかなり内陸部に入り込んでいたようです。しかし、海面がどのくらい上がっていたのかよく知らないので、ここで科学的議論を提供できるわけではありません。ただ、論理の筋道を示すことはできます。縄文遺跡の代表として三内丸山遺跡を取り上げてみます。この場所は標高20メートルほどのところにありますが、その時代の海面が今から10メートルほど高かったとしましょう。気温は今より5度くらい高いとします。すると、気温1度に対して海面は2メートル上がることになります。ということは、この100年間に地球の気温が1度上がったということは、2メートルの海面上昇が見られなければなりません。100年前というと、明治時代ですが、その時の海岸線が今より2メートル下にあったかというと、そういう事実は確認されません。それどころか、10センチの上昇でさえ確認されていません。温暖化と海面上昇は連動していないことはほぼ確実です。以上は単なるシミュレーションですが、これを科学的に検証するためには、今後、海面上昇を毎年観測することは是非とも必要となっています。なお、ツバルやヴェニスの沈下は、海面上昇ではなく、地盤沈下の可能性もあるので、詳細な調査・研究が必要となっています。

 

さて、ゴア著「不都合な真実」では、病気蔓延や人口爆発も取り上げられているので、地球温暖化だけが問題であるとしているわけではないことがわかります。全体的に見てゴアの問題提起はやや大げさであるとしても、人間の責任を喚起するという点で有益・有効であることは認められます。人間は地球環境に対して責任を持たなければなりません。この当然のメッセージはすべての人に向けられていると思います。