燔祭という訳語

口語訳では「燔祭」となっているところを、新改訳や共同訳では「全焼のいけにえ」、「焼き尽くす献げ物」と訳出しています。これは誤訳ではないでしょうか。

「燔祭」は、ヘブル語でオーラー(OLH)、ギリシャ語でホロカウトーマ(holokautwma)、英語でburnt offeringと言います。語源的には「立ち上る」ということで、全部を焼くというニュアンスはありませ。レビ記1章の燔祭の規定を読むと、全部を焼き尽くすかのように解釈できることは確かです。しかし、それは解釈であって、それを翻訳に採用するのは行き過ぎであるといわざるを得ません。全部焼き尽くす場合には、ヘブル語で「カーリル」(KLYL)という単語がありますので、「オーラー」は「燔祭」もしくは、それに類する訳語に止めておくべきではないでしょうか。

燔祭が焼き尽くす献げ物ではないと思われる状況証拠は沢山あります。

まず、燔祭が特別な犠牲の形式ではなく、古来から行われている最も一般的祭儀形式であることです。ノアが洪水のあと燔祭を捧げています。(創世記8:20)アブラハムも雄羊をイサクの代わりに燔祭として捧げています。(創世記22:13)その他、用例が非常に多いので、これがごく普通に行われていた祭儀であることは間違いありません。また、レビ記の規定によると、神殿では常燔祭として、毎日おびただしい動物が燔祭として朝夕屠られていました。これらの祭儀に於いて、捧げられた動物が関係者により食べられずに灰として捨てられると言うことは、常識的にも経済的にもあり得ないことだという推測は自然なことではないでしょうか。

どの時代であれ、どの地域であれ、祭儀の中心は食事です。日本の結婚式、葬式、誕生パーティーでは必ず食事が出ます。古代イスラエルでも、契約の際、動物犠牲が供えられますが、それはその肉を関係者で分け
合って食べるということなのです。燔祭から食事という要素が取り去られるならば、祭儀が成り立たなくなるのではないでしょうか。

また、聖書の規定を読んでいきますと、一方で、「全部燃やして灰にする」との表現もありますが、申命記12:27の様に、「燔祭の肉を食べるように」と書かれたところもあります。ここは、共同訳を見ますと、「その他のいけにえは」となっていて、いかにも食べないかのように訳出されていますが、ヘブル語を見ると、「そのいけにえ」であって、「他」という単語はありません。このような強引な翻訳が許されるのでしょうか?

というわけで、「燔祭」を「全焼祭」と訳すことには多大の疑問があるということです。

私の提起した上記の点について、専門の旧約学者はどう考えているのでしょうか?私は旧約の専門家ではありませんので、学術誌をフォローしていません。すでに話題となったことなのか、それとも的外れのコメントなのか、自分では何とも言えませんが、今後、この点について、専門家の方々のご意見を伺いたいと思っているところです。