北朝鮮の核武装という現実を前にして

北の核武装は日本の歴史を変える出来事になるでしょう。
現実の脅威を前にして、防空体制を整備することは緊急の課題となりましたが、あまりに金がかかるし、時間もかかります。その前に、日本人の場合は防衛意識を作らなければならないところが他の国と異なるところですが、ちょうど良い機会です。この際、防衛意識を作るためにも大いに議論してみることではないでしょうか。

北の核武装という現実を突きつけられて、日本人の声高の人々がまず言ったことは「北への経済制裁」です。たいして効果のないことを熱心に主張すると言うことは、何が問題なのかが判ってないことを意味しています。もともと経済力のない国ですから、経済制裁したところでどれほどの効果があるというのでしょうか。もちろん、ある程度はした方がよいでしょうが、しかし、それが第一の関心事であるとは、手順前後の間違いです。まずは、日本側の防空体制の整備こそ主張しなければなりません。その次が、核を落とされたときの対策作りです。その次が北の今後の出方を探るための諜報網作りです。経済制裁はその次の検討課題であって、順番を間違えてはなりません。

そもそも、経済制裁の効果は限定的ですが、さらに問題なのは、その論理です。一番賢いやり方は、経済制裁と言わないで実質的な経済制裁をすることなのですが、それだけの知恵はなさそうなので、この際、発想を変えて、経済制裁とはどういうことかを考えてみました。

北への経済制裁ばかりを考えているから判らなくなるのです。今までの歴史上、いろいろな国が経済制裁をし、経済制裁を科せられてきました。それらの経済制裁はどの程度、またどのように効果的だったでしょうか。それとも効果がなかったでしょうか。

そこで、一番判りやすい例は、第二次大戦中にアメリカが日本に対して行った経済制裁です。その経済制裁は効果があったでしょうか。これが真珠湾攻撃の原因になったことを考えると、日本のアジア進出を諦めさせるという点では何の効果がなかったことを教えてくれます。一面、アメリカにとっては戦争の準備という点では効果的だったといえるでしょう。

日本が北朝鮮に対して経済制裁をするということは、北朝鮮にとっては自存自衛の戦いをせざるを得ない状況に追い込んでいると言うことは自覚しておかなければなりません。少なくとも、かつての軍国日本と同じ論理を使うことを可能とさせることは注意しておかなければなりません。実際の北朝鮮は、かつての日本ほどは追いつめられていないので、すぐには戦争はおきないでしょうが、10年後には起きる可能性は充分にあるのですから、シュミレーションはしておかなければなりません。その際、考えるべきポイントは、経済制裁が戦争の口実になるという現実は認識しておく必要があります。そういう口実を与えることは日本の国益に反します。ですから、私は、経済制裁と公には言わないで、こっそりと経済制裁をすることを提案しているのです。

今後は、反北朝鮮的政策は日本にとってきわめて危険なことになります。ですから、上辺は中立を保ちつつ、時にはおべっかいを使いってでも北をおだてながら、北の弱点を実質的についてゆく政策でなければなりません。

そして、これからは政治的には難しい点ですが、秘密保持が非常に重要になります。遠いところの紛争なら、あからさまに作戦を議論しても良いでしょうが、目の前の脅威に対しては、作戦を議論すること自体が、手の内を相手に見せることになります。国民の間では自由な議論をしても良いのですが、政府の政策はある程度秘密の部分があることを国民は承知しておかなければなりません。

戦争は一種の喧嘩です。「殴るぞ、殴るぞ」と言って殴りかかるようなやり方では喧嘩に勝てません。いかにも殴らないような振りをしながら殴ると効果的なのです。しかし、殴らないで事を終わらせたいときは、「殴るぞ」と言って相手を脅す必要があります。国際政治も同じことです。言葉には裏があります。ですから、その裏を含んだ表現を使うし、また相手の言葉にも裏があることを自覚して、それを解釈しなければなりません。これからは国民もその程度のことは推測できるようにしたいものです。