歴史のたられば

「もしあのときまるまるしていれば・・・」とかいう話をときどき耳にします。歴史を多角的に見るために有益な議論にもなるので、その論法をいろいろ使ってみましたが、やはり極論になる場合が多く、また現実の中での条件は過去においては無限にあったわけで、はやり「たられば」という限界の中での議論でしかないことを再認識させられました。

とは言うものの、そういう限界を認識した上で使う限り、有益なところもあるのは事実であって、「たられば」をいっさい排除するのは、これも極論となるでしょう。

今考えているのは、もし日本が真珠湾攻撃をしなかったらどうなっていたかということです。マレー半島上陸が開戦の合図となり、太平洋戦争よりも長期の戦いになったことでしょう。それが日本に有利となったか、不利となったか、今となっては何とも言えません。たとえ真珠湾が無くても、アメリカは積極的に戦ったでしょうし、初期における日本の勝利はあったにしても、いずれは敗戦となることはほぼ間違いないことであり、そうすると、真珠湾での勝利という華がなく、地味な初期の勝利と最後の敗戦という結果になったかもしれません。どうせなら一度くらい華々しく勝っておきたかったと考えるのは子供じみているでしょうか。もしかすると山本五十六もそのように考えていたのかもしれません。

これからしばらくのあいだ、「たられば」という視点から考えたことをここに書き込んでおくことにします。