映画「Fukushima50」を観る

映画はあまり観ないのですが、福島原発事故に関心があるので、「Fukusima50」を見ることにしました。コロナウィルスで世間が騒がしい昨今、映画館もさぞや少なかろうと思って来てみると、隣同士が座らないようなチケット販売になっていて、15名ほどの観客でした。

 

映画の内容は、私の知識や評価と少し異なるところもあり、勉強になりましたが、こういう見方もできるのかという感想になりました。

 

私はもともと吉田所長を評価する立場なので、映画の主人公が伊崎利夫さんになっていることに不満を感じました。しかし、それが事実とするなら、それを描いたこの映画は立派で、私の勉強不足ということになります。考えて見ると、吉田所長ひとりが英雄ということではないはずですから、この映画のような事実があったとしてもおかしくはありません。

 

しかし、細部においては、どうかなと思わされるところがいくつもあります。もちろん、私の勉強不足という面もあるでしょうから、今後の研究課題として捉えています。また、地震原発事故そのものについて、もっと学ばなければならないとも思いました。

 

そもそも原発事故の原因について、地震だったのか、津波だったのかという点について議論がまだ足りないように思います。映画では津波が原因とされています。それは現在の常識でしょうが、武田邦彦先生の説明によると「原発事故は、非常用電源が地下にあり、水没したことが原因だ」としています。水没とは、津波による水没なのですが、しかし、原因を津波と考えることと、水没と考えることでは、今後の再発防止の対策の採り方に違いが生じます。津波であるなら、防潮堤を高くすることになりますが、水没なら、電源を地下に置かないことが重要になります。どちらもやるべきだというのは、現実的にはそうなのですが、原因追求を曖昧にしてはなりません。津波なのか、水没なのかは、今後議論し続けてもらいたい重要論点だと思います。

 

昨年の台風水害の中で、武蔵小杉のタワーマンション電源喪失でエレベーターなどが動かなくなり、住民が避難する騒ぎが起きています。電源喪失原発事故と同じですね。このタワーマンション電源喪失の原因は、電源が地下室に置いてあったことです。「なんだ・・・、原発と同じか」という思いが湧いてきました。やはり、原発事故の原因は水没ではないでしょうか。とすると、防潮堤を高くするというのはあまりたいした効果がないことになります。

 

また、映画では、原子炉建屋の爆発が描かれていますが、実際に起きた爆発よりも大げさに描いてはいないでしょうか。爆発は水素爆発であって、原子炉そのものの爆発ではありません。その点の説明なしにストーリーが進行してゆきますが、おそらく、見る人は必ず誤解すると思います。

 

事件後、しばらくして、海水を注入するかどうかをめぐって、総理と現場との対立があったとの新聞報道がありましたが、「海水注入により再臨界がおきる危険性がある」という話は私自身がその当時耳にしたことです。まだ臨界になってない段階で「再臨界」とは変な気もしますが、「臨界が起きる危険性」という説明だったのかもしれません。とにかく、専門家がそう言ったのですから、あとになって「海水で臨界に達することはない」と説明されても、気分的には非常に後味の悪いものがあります。映画では、最初から海水を注入していたことになっています。

 

映画は最後に、原子炉が冷えてくれて良かったで終わるのですが、「なぜ原子炉が爆発しなかったか、今でもわからない」と登場人物に語らせていました。当時の私の理解では、水を掛ける作業が順調に進んで原子炉が冷えたと思ったのですが、事実としては、そうでない可能性があるということなのですね。

 

映画では米軍の「トモダチ作戦」がけっこう大きく描かれていました。東日本大震災では、多くの国々から支援者がやってきて、義捐金も集まりました。そういう意味では、世界中の国々に感謝しなければなりません。原発事故についてはアメリカの支援を評価するというのが監督の視点なのでしょうが、アメリカを持ち上げすぎのようにも思います。このあたりは見解の相違ということでしょう。

 

とにかく、原発事故を風化させないことは重要ですから、この映画を多くの人に見てもらいたいと思います。