コロナ騒動を反省する (その2)

 感染症専門家は本当に専門家なのか?

 

コロナ騒動はまだ続いていますが、だいぶ終局を迎えています。まもなく、すべての規制が解除されることになるでしょう。そのあとどうするかをここで議論したいと思います。

まず、専門家と思える人々が「第2波が来る」と発言していることです。これはスペイン風邪のとき、1年後、2年後にまた流行したことを踏まえた発言で、専門家としてそういう警告を発したくなる気持ちは良くわかります。しかし、普通のインフルエンザで第2波は来るでしょうか。毎年起きるものに第2波などと言う意味はありません。では、A型インフルエンザに限って言うならどうでしょうか。A型がはやった次の年、またA型がはやるのでしょうか。B型になったり、別のインフルになるのではないでしょうか。そして、10年後くらいにまたA型になるのです。では、その10年後のA型は先のA型の第2波なのでしょうか。ペスト、天然痘、これら、赤痢結核、ガン、サーズ、マーズなど、すべての感染症で、第2波という概念があてはまるわけではありません。

では、なぜ新型コロナだけ第2波が問題とされるのでしょうか。おそらく、専門家は言うでしょう。「新型だからです。新型だからどうなるか判らないので、最悪のシナリオを想定しなければなりません。」たしかにそういう面もあります。しかし、発言しているのは専門家です。専門家とは素人ではなく、病気について専門ということではないでしょうか。新型とは言うものの、すでに症状も対処法もある程度はわかっているのですから、新型という言葉で未来がわからないというのは専門家として失格・・・とまではいえなくても、かなり悲しい現実です。

まったくの素人である私でさえ、いくつかのことは判ります。つまり、「この新型コロナは肺炎の一種で、インフルではない」ということです。インフルの一種だとか、風邪の一種だと言う方もいますが、肺炎を起こすかどうかは重要な指標ではないでしょうか。とすると、新型コロナはサーズ、マーズの親戚感染病だと判定するのが自然です。ならば、サーズとマーズのときどうだったのかを前提に話をしなければなりません。日本ではサーズとマーズがはやらなかったので、素人の私などはこれらの病気についての知識がまったくありません。専門家は当然、よく知っているはずです。ならば、サーズのとき第2波がどうなったかを情報として公表すべきです。そして、それに対する対処方法も教えるべきではないでしょうか。病気の種類を特定せずに「第2波が来る」というのは、「おおかみが来る」という子供の発言と同じで、専門家として失格です。

病気の種類を特定せずに議論するのは、なぜか今回の新型コロナ騒動の最初からなされていた失敗ではないでしょうか。「新型だから」という言い訳は最初期には通用するでしょうが、肺炎感染症であることがはっきりした時点で、議論の仕方を修正し、対策も修正するのが当然です。それを進言するのが専門家ではないでしょうか。ところが、専門家が何も言わずに、事態が混乱するのを放置していたことは犯罪とも言える失態であったといえるでしょう。

専門家の提案した「8割削減」、そして、「外出を控える自粛要請」はいったい何を前提に判断したものなのでしょうか。感染症の教科書に書かれている微分方程式の図を見せて、感染確率から患者数を計算し、爆発的感染をさせないために8割の接触削減を要請したという論理ですが、その図はどの病気の図なのでしょうか?そして、「8割かどうか」をどうやって計算するのでしょうか?

おそらく専門家は「どの病気も同じパターンの図になる」と言うでしょう。しかし、素人の私は言います。「では、肺炎も同じパターンで流行しているのでか?」ここから先の議論は長くなるので割愛しますが、専門家の反論はだいたい予想がつきます。しかし、私の反論も理解していただきたいのです。肺炎に適用できない図を持ってきて、肺炎型感染症を議論してよいのか?という疑問です。

また、ひとりの感染者が何人にうつすかという確率の数字が大前提になっていますが、「新型なのでまだわからないので、ドイツの確率数を持ってきた」という説明を聞きました。ところが、その最初期の段階で、すでに日本では感染者が出ていました。「ひとりの人がふたりに病気をうつす」という専門家の説明ですが、日本の現実では「ひとりの患者が誰にもうつすことなく病院に入院した」のです。その後、北海道で大きなクラスター感染が発生しました。「ひとりがふたりに、ふたりが4人に」と感染が広まったでしょうか。広まっていないのです。また、別の場所で感染者が発生しました。しかし、広まりませんでした。一ヶ月近く、こういう状態が続きました。

なぜ教科書どおりの図にならなかったのでしょうか。それは、この図が理論図であって、現実ではないということです。理論図ですから、どの感染症であるかは関係ありません。ところが、今、日本で議論しているのは、現実の新型コロナという感染症です。純粋理論図を現実の感染症にそのまま当てはめるということは意味がないことを専門家は知っているはずです。専門家なのですから、理論値と現実を混同するなどということはあってはならないことです。専門家の方々はどう反省するのでしょうか?

さて、その後、ヨーロッパで感染が急拡大してから、ようやく日本でも感染者数が拡大し始めました。ここからようやく感染症教科書図に近い増加曲線が現れ始めました。専門家は、それ以前のことは無視して、ここから分析を始めます。ちょうど、ヨーロッパ、アメリカで感染が拡大しているときだったので、日本でも同じことが起きると心配したのです。ところが、日本ではすでに感染が発覚して1ヶ月以上経過していました。そして、少しも感染拡大が見られなかったのです。

そのようなとき、最初に騒いだのはマスコミでした。専門家は、最初は沈黙していました。・・・というか、専門家の意見など報道されなかったのです。テレビ・新聞が欧米での感染拡大の状況を詳しく報道し、フランスでは大統領が「これは戦争だ」と発言して、やがてロックダウン・都市封鎖を宣言するという事態になりました。西ヨーロッパ、ニューヨークも同じようになるのですが、「日本はこれでよいのか?」という空気が流れました。

その後、誰がどう発言して、今の日本の混乱をもたらしたのかは、政府内部の考えの変化を知らないので、今は何もいえませんが、素人的に見て、最初に不安をあおり、混乱の原因を作ったのは小池都知事です。彼女は、日本がまだ感染者数が非常に少ない段階で、「オーバーシュート、ロックダウン」と叫んで、民衆の不安をあおり、無意味な自粛要請の先鞭をつけました。都知事は今回の騒動のA級戦犯といえるでしょう。

しかし、何といっても、彼女は素人です。政治家はすべて感染症については素人です。政治家に責任はありますが、政治家をサポートする専門家こそが最終責任を負うことは当然のことです。なぜなら、専門家だからです。

専門家が都知事に対して「まだ早い。様子を見ましょう。」と言うべきだったのです。ところが、専門家が発言する前にテレビ、新聞が不安をあおりました。実際は何も起きてないのに「大変だ。大変だ。」という空気が発生しました。「感染爆発が起きるかもしれない」、「多くの人が死ぬかもしれない」という不安が全国(実際は一部の人々)に広まりました。この空気に逆らって専門家は「日本と欧米は違う」と事実を指摘すべきだったのです。ところが、専門家は専門家としての責任を放棄しました。空気に迎合したのです。これはテレビ・新聞が悪いという面もありますが、専門家は専門家ではないでしょうか?専門家にはそれなりの責任があるのです。テレビ・新聞より何倍も大きな責任です。なぜなら、専門家だからです。

残念ながら政治家は専門家のアドバイスに従い、緊急事態宣言を出しました。そして、無意味な自粛要請をしました。国民は素直ですから、何も考えずに自粛を始め、経済崩壊を受け入れたのです。

ここまで来ると、感染症専門家の責任だけではなく、危機管理の専門家の責任が問われることになります。今回、危機管理の専門家の発言が少なかったように思いますが、あったとしても「緊急事態宣言はもっと早く出すべきだった」という後ろ向きの意見ばかりです。他の危機管理専門家から、これに対する反論はありませんでした。沈黙。これは、悪いとは言いませんが、専門家ですから、責任がないとは言えません。

危機管理の常識として「最悪の事態を想定する」というのがあります。ところが、これは理論上の想定であって、この想定を安易に現実に適用することが間違いであることは専門家なら知っているはずです。飛行機は事故のことを想定して設計されています。非常時の酸素マスク、衝撃吸収装置、脱出口などが丁寧に装備されています。「なんだ、飛行機は落ちることを前提に動いているのか」という人がいるでしょうが、それに対して危機管理専門家が「飛行機は危ないから乗るべきではありません」と言うでしょうか?そういうことを言う人はいません。ところが、今回の新型コロナ騒動で危機管理の専門家が「最悪の事態を想定して、行動すべき」と発言したのです。この専門家の責任は大きいといえます。そして、この発言をした専門家への批判をしなかった他の危機管理専門家の責任もあることを忘れてはなりません。

今後の、政府が取るべき経済対策については、私は何も言いませんし、言えません。しかし、「第2波が来る」とか言う専門家に対して言いたいことは、新型コロナがインフルエンザなのか、肺炎型感染症なのかをはっきりさせた上で、サーズ、マーズのときにどうなったか?そして、どうしたか?を紹介して、その結果が良かったのか?悪かったのか?という評価をした上で、今回の新型コロナを議論していただきたいとお願いします。

そして、今後、第2波であろうが、他の感染症であろうが、どういう感染症かを見抜いた上で対策を立てなければ、すべての対策は無意味であるという教訓を確認しなければなりません。その上で、その感染症ごとに異なる対策を実施していただきたいと思います。あまりに当然のことなので、言わずもがなですが、今回の新型コロナ騒動の最大の失敗は、新型コロナをインフルエンザ(スペイン風邪)として対処したことです。感染の仕方がぜんぜん違うことが判ってきたあとでも、同じ対処を取り続けたという過ちは、専門家の無責任さから来ています。新型の感染症ですから、時々刻々と新しいことが判ってくるわけで、その新しい情報に基づいて、時々刻々対処方法を変更しなければならないのは常識ではないでしょうか。

緊急事態宣言そのものが間違っていたのですが、その後の事態の変化を分析することなく、宣言修正を提案しなかった専門家会議こそが最大のA級戦犯であると判決を下したいと思います。イタリアなら刑務所送りになるような犯罪です。

今後の対策については、新型コロナについて、さらに詳細な実態がわかってくるでしょうから、それを踏まえた対策になることは当然です。おそらく、普通の感染症として扱うことになると思われますが、問題は、新型コロナだけでなく、感染症全体に対する今の日本の対処方法ははたして妥当かどうかという議論に発展します。これについては、また別に議論したいと思います。

無意味な自粛を強制させられた日本国民は怒り狂うことになるでしょう。しかし、政治家を悪くいうのはほどほどにしなければなりません。経済のことは別問題ですが、新型コロナそれ自体についての責任の本体は感染症専門家と危機管理専門家、テレビ・新聞・その他のマスコミにあります。そして、忘れてはならないのは、国民自身にも責任があるということです。テレビ・新聞にあおられて不安を膨らませたのは、自らの怠慢、および不勉強であったことを反省しなければなりません。具体的には、今後、不安を煽る偽情報を自らシャットアウトしなければならないということです。騒動に巻き込まれないように、自ら論理的に考え、事実を踏まえて議論する訓練を日ごろからしておかなければなりません。

実際、日本人は議論下手です。理屈嫌いです。論理を軽蔑します。そういうことでよいのでしょうか。専門家の責任、テレビ・新聞の責任を軽減するつもりはありませんが、今回の新型コロナ騒動で、国民こそが反省しなければならないことは指摘しておかなければなりません。