コロナ騒動を反省する

 

まだコロナ騒動が続いている中で反省するのは早すぎるかもしれませんが、まもなく終わることは確実なので、早めに反省をしておきます。なぜなら、反省の仕方こそが今後の日本、および世界を変える重大テーマだからです。私が反省したからと言って、それが正しいかどうか、自分で考えるだけでは足りませんから、多くの方々との議論の中で考えを深めたい・・・そういう思いで反省を公表するしだいです。

 

私の立場は最初からかなりの少数派だと思います。集団免疫に近いかもしれませんが、発想が異なります。「そもそも自粛は必要ない」、「緊急事態宣言は無意味であった」という立場です。おそらく相手にしてくれない人も多いでしょうが、それも自由です。お互いに邪魔しあわないように発言すればよいのです。

 

さて、反省というのは、次回の感染症到来を見越して反省するということです。毎年、インフルエンザが流行します。来年も必ずインフルエンザがやってきます。死者は1万人規模になるでしょう。そのときどうするか?です。当然のことながら、インフルエンザに対しては今までどおりの対策しか立てないはずです。それで良いのですが、それでも死者は1万人か、たとえそれ以下としても、それなりの数になることは確実です。

 

「なぜそれでよいのか?」というと、「ワクチンがあるから」という答えを聞いたことがあります。ワクチンはすでに使っています。それでも死者が1万人に上ります。新型コロナはワクチンがなくても死者が500人です。これはおかしくありませんか。ワクチンの問題ではないのです。

 

つまり、日本における新型コロナウィルスに対する自粛や緊急事態宣言は空振りであって、球も来ないのにフルスウィングしたようなものです。この判断能力のなさを反省しなければなりません。

 

球がこないのに、なぜ「来るぞ、来るぞ」と心配したのかというと、それは専門家がそう言ったからです。専門家の言い分は「来たら大変なことになる。こなければこなくて良かったと言えばよい」という、きわめて無責任なものです。しかし、この無責任さは社会が許容しているもので、問題はその社会が許容しているという点にあります。

 

危機管理の考え方そのものの考え方が間違っているということです。この点は、危機管理の専門家そのものの問題でもあります。「危険は最大に考えるべきである」という、ある意味で当然ともいえる考え方ですが、それには多くの条件が付けられていることを忘れてはなりません。危機管理の専門家は、専門家であるにもかかわらず、危機管理のイロハを忘れている・・・、もしくは知らないのは大問題です。

 

「危険性は最大に見積もる」というのは当然ですが、それは対策を立てるためであって、日常生活の行動指針ではありません。対策の基本を日常生活に適用するというのは、「ばい菌に接すると病気になるから無菌室で生活する」という誤りになります。「飛行機は落ちるから乗らない」だけでなく、「飛行機は落ちるから、飛行機が飛ぶことを禁止する」というのが今回の新型コロナウィルスのために取った政府の対策です。「別に飛ぶことは良いのではないか」と言うと、「あなたは生命を大切にしないのか?」という非難がきます。「ひとりでも死んではいけないのに、飛行機が落ちると何百人もの人が死ぬことになります。あなたはその人々の生命を見殺しにするのです。」という、わけのわからないことを言い出す人がいます。そこまで感情的になれるのは、tテレビ、ラジオの報道が間違っているからなのですが、そうさせた政府の対策に間違いがあったということです。そして、その間違いの原因は感染症専門家の間違い、そして、危機管理の専門家の無能力です。

 

新しい病気はこれからもはやります。その際、ロックダウン・都市封鎖は意味がないことを知らなければなりません。「死者がでてはならない」ではなく、「死者が出るのはやむをえない」と考えるべきなのです。

 

ですから、対策ははっきりしています。今までどおりの対策でよいのです。外国ではやっている病気の場合は、空港や港での検疫です。また、国内ではやったときは、そのはやった場所を閉鎖することです。学校のクラスなら、学級閉鎖、学校なら休校、店なら、その店を閉めることです。電車などの交通機関が感染源になるようなら、乗客の熱を測るとか、人数制限するとか、ロックダウンにならないように感染を抑える必要があります。

 

感染を零にすることはできないし、必要ないのです。目標は感染を静めることです。ですから、感染の第2波、第3波がやってくることを恐れてはなりません。同じように対処すればよいからです。

 

今回の新型コロナウィルスについては、「新型だからどれほどの毒性があるかわからないから怖い」と言う人がいるのですが、すでに発生から5ヶ月もたち、どういうウィルスであるかはほぼわかっています。もはや新型とは言うものの、毒性も、感染状況もわかってきているのですから、それに合わせた対策を立てればよいのです。医療崩壊が心配だとか、薬がないとか、いろいろな心配事が挙げられていますが、日本ではすべて対応可能で、心配する必要はひとつもありません。無意味な心配は、無駄な心配であり、不安をあおるだけの悪魔の声なのです。冷静に正しく対処することが大切です。

 

たとえで説明するなら、地震は必ずきます。家の構造は震度7に対応していません。心配のあまり家を建て替えるとするなら、それはやりすぎです。震度6対応でも壊れるときは壊れます。そのときになって対応すればよいのであって、大金をはたいて耐震構造にする必要はありません。しかし、家の中に倒れやすいものを置かないとか、ベッドの頭の上には落ちるものは置かないとか、無駄にならない程度の備蓄をするなどの、金のかからない、また、手間もかからない対策はしておくことは良いことです。

 

病気に対しても同じで、病気になるときはなるのです。それをまず受け入れておいて、なるべく病気にならないように、今出来ること、金をかけず、時間をかけず、手間をかけずに出来ることをしておくことは賢いといえます。たとえばということで言えば、毎日の運動です。食事についてならば、好きなものを適量食べるということです。自分がよいと思うことを実行し、好きなことをして、楽しく過ごすことが人生最大の幸せであり、免疫力を高める方法です。

 

さて、確認しておきますが、アメリカでも、イタリアでも、事情は同じということです。日本は「新型コロナ患者が少なかったから恐れる必要がない」のではありません。たとえ多くても恐れてはならないのです。アメリカもロックダウンではなく、感染した場所だけを閉鎖していれば経済は停滞しなかったでしょう。患者数は今の倍、死者数も倍としましょう。それでも経済の停滞よりはましです。

 

エイズやエボラなど、感染の仕方が異なる病気の場合は別の対策になるのは当然のことです。ですから、感染対策も、そのウィルスごとに決めなければなりません。そして、新型でどのようなウィルスか判らないときは、時々刻々と対策方法を変更する臨機応変さが必要となります。

 

今回は、新型でしたから、本当は、時々刻々の対策変化が必要だったのですが、一度決めたことを後生大事に守り続けたということが一番の失敗だったといえるでしょう。専門家がその点を見抜いていなかったのでしょうか。また、危機管理の専門家がサボっていたということでしょうか。大いに反省しなければなりません。