天皇制を男系にするか、女系にするかは天皇家の決めること

天皇制は今後どうなるのか?は国民の大きな関心ごとです。現在の皇室典範では男子しか皇位を継げません。今後、後継男子の数が少なくなると天皇を継ぐ人がいなくなる可能性があります。


これに対する解決方法として、女性の皇族のご子孫もまた天皇になれる方向で皇室典範を改正する案が検討されています。しかし、天皇は男系のみが継ぐべきだとの意見もあり、女系天皇への拒絶感を強く持つ人々もいます。そこで、いままで取り上げられていない視点を提供してみたいと考えました。

 

女系天皇を良しとする論者はあまりいません。ただ、かなりの数の国民が女系天皇も許容するとの世論調査が出ています。女性天皇とは一代目の女系天皇のことですが、女性天皇に対しては国民の80%近くが肯定していて、受け入れられていると言えるでしょう。しかし、現行の皇室典範は男性のみが皇位継承権があると規定しています。ですから、将来、皇室典範を改正して女性天皇も認められる可能性はありますが、そうすると、その女性天皇の子孫は天皇になれないのかという問題が生じます。これが女系天皇問題として存在しているのです。


女系天皇に対する反対意見は幅広く存在していて、しばしば感情的な論調になっています。「女系天皇は皇統の変更になるので絶対に認められない」というものです。「絶対に」という言い方が感情的ですが、天皇制の在り方について「絶対」というものがあるのでしょうか。ここは「絶対」という感情は抑えて、将来、国会で天皇制の方向性が決まるならそれを認めるということを大前提としなければなりません。なぜなら、もし、女系天皇性が決められた後に、国民の一部に天皇制への反対論が残るのは国家として良くないことだからです。


だからこそ男系天皇制を守るべきであるという意見もあるでしょう。それも一案です。現在、まだ旧皇族の方々の子孫は健在です。それらの方々に何らかの形で皇族に戻っていただくことは可能でしょう。そういう案も含めて、大いに国民的議論を盛り上げてゆくことは良いことです。

 

しかし、ひとつ忘れてはならないことは、現在の天皇家がどう考えておられるかです。日本国憲法では「天皇は国民の総意に基く」となっていますが、天皇陛下の存在は憲法よりも先にあります。憲法ができたのは明治22年のことですが、歴史的にみるとごく最近のことです。それに対して天皇制の始まりは1500年前のことであり、日本の始まりとともにあります。憲法上は「国民の総意」であるとしても、存在としては国民の総意の上にあるお方ではないでしょうか。とすると、国民の意思の代表である国会で決めるという発想自体が問題であると言えます。天皇制の在り方を国民が決めるというのはおこがましいことです。では誰が決めるのかというと、それは天皇陛下御自身が決めることではないでしょうか。

 

旧皇族の復帰と言ってもいろいろな形がありえます。皇族復帰を望まない人の扱いとか、旧皇族の順位をどうするかという問題があります。また、女系と言ってもどの女性皇族を優先するかについていろいろ決め方があります。

 

さらに、法律問題というより、国民感情というものも配慮しなければなりません。配慮の順位は低くなるとは言え、国民に受け入れられる天皇であることが望ましいことは言うまでもありません。現在の国民感情の中には「昭和天皇の子孫であってほしい」ということがあります。未曽有の大災害である太平洋戦争から国民を守った昭和天皇への感謝と尊敬は国民の中に深く根を下ろしています。ゆえに将来の天皇陛下昭和天皇の子孫であってほしいとの願いは自然なものと言えるでしょう。この願いが受け入れられるかどうかは歴史の流れによって左右されるでしょうから、絶対的な基準とは言えません。しかし、考慮されるべきものではあります。また、明治天皇の子孫であってほしいとの願いもありえます。この点での国民的願望はいまのところあまり耳にしませんが、旧宮家の方々の中に数人は明治天皇の娘の血をひいた方々がおられます。これらの方々が皇族復帰となったとき継承順位を上にするということも考えられます。いろいろな考えが可能なところですから、国民の議論は多方面の及んで収拾が付かなくなることは必至です。それゆえ、原点にもどり考えた場合、この種の血統の問題については、他人がとやかく言うことではないと言えます。それぞれの家の問題ですから、天皇家の意見を聞くことなしに決めるべきではありません。

 

天皇家に決めてもらうことのメリットは、国民の多様な意見による混乱を避けることができることです。また、血統についての常識にもかなっています。誰を自分の家の養子にするかを他人が決めるのはおかしなことです。たしかに天皇家は単なる家柄ではなく、元首ともいえる特別な存在ですが、だからと言って家であることに変わりありません。常識に反することをするとそれだけ国民の合意を得ることが難しくなります。

 

また、国民的議論が巻き上がるとき、あたかも天皇家にこうしろと国民が命令するかのような形になることはふさわしくありません。憲法において「天皇が国民の総意による」と書かれていることは尊重すべきですが、その憲法を超える日本独自の歴史があることも踏まえなければなりません。その歴史を踏まえて、今後、どのような天皇制にしてゆくかを決める権威を持つのは天皇家以外にはないことを確認する必要があります。国民ができることは天皇家の選択の可能性を探り、アイデアを提供することだけです。多くの案の中から、天皇家がひとつを選ぶことになるでしょう。そしてもし決まったなら、それを国会で国民の総意として認定するのです。これで安定した天皇制が出来上がります。旧宮家を復活させて男系にするのか、女系天皇も認めて開かれた天皇制にするのか、どちらに転んでも国民は素直にその決定を受け入れればよいことであって、天皇家の決定に反対してはなりません。

 

現代社会は変革の時代を迎えています。ローマ教皇生前退位するなどと言うことは従来は考えられないことでした。しかし、それが実現しました。ヨーロッパの王室は女系を容認するところが増えています。世界の潮流は変わりつつあります。しかし、日本がそれにお付き合いする必要性があるわけではありません。日本は日本独自のやり方で良いのです。ただし、天皇制が存続するやり方を選ばなければなりません。一夫多妻制が許されない今日、せめて離婚は許されるとしても、子供の生まれないご家庭になる確率は決して無視できません。また、退位や、皇室を離脱する皇族が現れることも想定されます。それらのあらゆる可能性に対応できる天皇制を作るために、これから知恵を集めて良いアイデアを探らなければなりません。国民はその作業を暖かく見守ることにしましょう。