「悪事千里を走る」の教訓

「悪事千里を走る」というのは中国の古典にある言葉なのかどうかは知りませんが、驚くほど人間の心理をとらえていますね。悪いニュースは新聞テレビのない時代でもあっという間に千里を走ります。ところが良いニュースはその地域で共有されるだけですから、一里くらいは走るということでしょうか。

こういう現実は今でも同じです。誰かが倒れている人を助けてもニュースにはなりません。しかし、その人が人を殺せばニュースになるのです。どこかのパン屋がおいしいパンを発売しても自費で宣伝しなければなりません。しかし、もし毒入りパンを売ってしまったら、連日あらゆるマスコミが報道することになるでしょう。こういう現実は、嘆いても仕方ありません。受け入れて、こちらがわが対策を取らなければなりません。精神的対策です。

新聞は白紙で発行することはできません。何か文字を入れなければならないのです。また、印刷費、取材費、人件費などがあるので、売れる新聞を作らなければなりません。そのためには良いニュースを書いてはいけないのです。なるべく悪いニュースを集めてきて並べると、とてもよく売れます。「最近火事のニュースが多いね」などと言っている人がいましたが、それは大事件がないので、火事のニュースを流しているのであって、火事はあちらこちらで毎日起きているのです。火事とか、自殺、交通事故などのニュースがあるということは、ほかに大事件がなかったと理解すべきです。新聞社は、日本国内で事件が少ないときは、外国の災害とか、大事件を報道します。火事とか、外国の災害ニュースなどが流れるときは、「あまり悪いニュースがないのだな」と受け取るのが正解なのです。

良い出来事は毎日起きています。ただ、それがニュースにならないだけです。たとえニュースになっても、大きく取り上げられることはありません。悪い事件のニュースを読みながらも、どこかで良いことが起きていることを信じて、情報のバランスを自分で取らなければいけないということです。