財政健全化か? インフレ2%目標か? (その2)

(前回の続きです。)

 

さて、財政健全化派の問題点は、すでに現在1200兆円もの赤字が目の前にあるので、まずこれをどうするかを議論しないことには財政健全化にならないことです。屁理屈の次元ですが、国民の金融資産をすべて税金として巻き上げるとちょうど政府の赤字がなくなります。これで財政健全化達成ということになりますが、国民の反対と不満は頂点に達するでしょう。国民を不幸にする財政健全化など必要なのかという気持ちになります。しかし、それでも個人の収入は変わらないのですから、貧乏人だけでなく、金持ちにとっても、当面生きてゆくことに不便はありません。ただ、その後も税金の枠内での政府予算が建てられるので、福祉、公共投資などへの支出は減らされるでしょう。ならば赤字を垂れ流すほうが良いという気持ちになるのも仕方ありません。

つまり、財政健全化という主張は、当面の実行性がないばかりか、それが実現したあとでも国家展望が開けないことです。

こういう論理の袋小路に突き当たるとき、土俵自体が間違っていることがあります。家計の場合、収入があって支出があるのですから、収入が少ないときは支出を減らすということになります。財政健全化のためには、「赤字国債を発行しない」ということだけでなく、どうやって支出を減らすかを議論しなければなりません。その議論をせずに財政健全化を主張しても、あまり意味はないように思います。福祉を減らすか、補助金を減らすか。この議論は国民の間での意見の違いが大きくて、激しい理解対立を生み出し、選挙に不利なテーマなので、議論したくないと政治家は考えるのでしょう。評論家も同じでしょう。家計の場合は、夫と妻が話し合って、狭い家に引っ越すとか、車を売るなどの決断をすることになります。しかし、政治の場合は、なかなかそういう決断ができないようです。

ただ、ひとつだけ財政健全化論の良い点は、国民がどういう不利益を自ら甘受するかを国民自身が議論するきっかけを与えてくれることです。

さて、財政健全化論と2%インフレ論を比較したうえでの暫定的結論ですが、当面、インフレ目標論でやってゆくしかないでしょう。どこかで破綻するでしょうが、財政破綻が現実化しないことには国民は受け入れられません。逆に言うと、破産という現実を目の前にして、ようやく国民は別の道を選択することが可能となります。崖に向かっての一本道ですが、落ちた後また這い上がる力はあるはずです。慎重に考えて後戻りするより、崖から落ちて這い上がるほうが未来があるように思います。