「脱炭素社会」という言い方は妥当なのか?

最近「脱炭素」という言い方をよく耳にします。「いったいこれは何だ?」と言いたくなりますが、そんなことを言うと「勉強が足りない」との反応が返ってきそうです。調べてみると「地球温暖化の原因となる温室効果ガスを削減すること」のようですが、温室効果ガスとは「水蒸気、二酸化炭素、メタン、フロンなど」いろいろあります。おそらく、炭素原子を含むガスが多いので、それらを纏めて排除するということで「脱炭素」と呼ぶことにしたのでしょう。英語で言うと decarbonization とのことです。carbon neutral とも言うはずです。これを日本語に訳して「脱炭素」と言っているわけです。それはそれで仕方ないのですが、それにしても表現が不適切、不明瞭です。炭素とは原子番号6番の炭素のことです。炭素はほとんどすべての物質を構成する基本的原子であり、炭素なしには生命も維持できません。ですから、脱炭素とは人間に死ねというようなものなのです。もちろん、「そういう意味ではない」と言うでしょうが、ではなぜもっと正しい表現にしないのでしょうか。

 

曖昧な表現を許容する精神は、考え方においても曖昧であることを許容することに繋がります。地球温暖化に関する議論には多くのいい加減なところがありますが、そういう人たちだからこそ「脱炭素」といういい加減な表現を許容できるのかもしれません。とにかく、いい加減な考え方はやめて、曖昧な標語は撤回してもらいたいと思います。